曽根天満宮秋季例大祭播州曽根 東之町

中谷連中

屋台の練り合せ





曽根天満宮の秋祭の中で、最も華やかで人々を熱狂させるのが「屋台練り」です。この地方では「ヤッサ」と呼 ばれ、2tもある「ヤッサ」が数十人の若者に担がれて練りだされます。

曽根のヤッサは屋根に蒲団を三層に重ね、その四方に反りを持っていて「反り屋根型布団屋台」と称されます。 この形は他所でも見られますが、北之町が姫路市別所町の宮大工に作らせたのが起源であります。

ヤッサは曽根地区から東之町・西之町・南之町・北之町の4台、伊保地区から梅井・高須・伊保西部・伊保南部・伊保中部の5台、 中筋地区から中筋西・中筋東の2台、計11台と西之町・南之町・梅井・伊保西部の4台の子供屋台が宮入りをします。

ヤッサの練り合わせは先にヤッサを落とした方が負けになります。担ぎ手は自分の地区の意地とプライドに懸け必死にヤッサを担ぎ練り競います。

一ツ物神事





高砂市曽根町の曽根天満宮では、10月13日と14日の両日に一ツ物神事が行われる。一ツ物は曽根地区から1人、 伊保地区から1人、阿弥陀西から1人、阿弥陀東から1人の計4人が選ばれる。

5・6歳の男子で、衣装は浅葱[あさぎ]と紫地[むらさきじ] の狩衣[かりぎぬ]に、山鳥の羽根を立てた山笠を被[かぶ]り、 襟[えり]に中啓[ちゅうけい]をさす。白く化粧をした顔の額に八ノ字を小さく書く。また行事頭人[ぎょうじとうにん]は7・8歳の男子1人を選び、 白の浄衣[じょうえ]に侍烏帽子[さむらいえぼし]をつけ、額に墨で品を書いて中啓[ちゅうけい]を持たせる。

行事は13日の宵宮、一ツ物と行事頭人は早朝に馬でシオカキに行く。夕刻になると青年の肩車で宮入し、拝殿で盃[さかずき]の儀を行う。 14の昼宮では一ツ物は午前中に村回りをし、清書元[せいしょもと]の家から馬に乗り宮入りする。この時、水色の坊主頭巾[ずきん]に派手な長襦袢[ながじゅばん] を着流し地下足[じかたび]袋姿の若衆が馬の口取りをし、口取歌[くちどりうた]を歌って道中する。

一ツ物を先導する幟旗[のぼりばた]は本殿前で勢よく地突[じづ]きして青竹を割る。馬上の一ツ物も神社の門前に着くと若衆に馬上から抱きかかえられ、 一気に拝殿まで走り込む。拝殿では一ツ物と行事頭人が所定の場所に座る。和供[にごく]を神饌所[しんせんしょ]から神殿までの間を一ツ物・行事・役員・総代等が 一列に並んで手渡しする。和供神事[にごくしんじ]が済むと馬上の一ツ物が神社の境内を左回りに巡行する。
*兵庫県立歴史博物館WEBより抜粋

竹割り





長さ10メートル余りの青い真竹が勢いよく本殿前に入ってくる。竹は播州地搗歌(じつきうた)に囃されながら粉々に 割れるまで地面に打ち付けられる。曽根天満宮の竹割は、勇壮さにその珍しさも手伝って人気も高く独立した神事のように 思われることもある。

しかし、竹割は一ツ物の神事に付随して行われているのである。 13日の宵宮には高張提灯を、14日の昼宮には大幟をつけて一ツ物の先を行く。 その役割は、一ツ物の先導と露払い、また遠くからでも行列の位置がわかる目印の意味がある。かつては、根元を地面に着けることなく静かに行列したものらしい。

いつの頃からか地搗歌で囃し、辻々で打ち付けるようになり、社殿での神式(じんしき)が終わって帰る際には、粉々に割られるようになった。
*曽根天満宮WEBより抜粋

連中の予定

現在は特にありません。

平成29年大人屋台宮入順

10月13日
1.2.3.
4.5.6.
7.8.9.
10.11.
※14日は逆

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